2017年2月6日、蚕糸会館(さんしかいかん 東京有楽町)を会場に、純国産絹の「松岡姫」を起用したYUMIKATSURAデザインの着物「丹頂鶴」の披露と、出張講座「美しいキモノアカデミー」(ハースト婦人画報社 講師:富澤輝美子さん)が行われた。
「美しいキモノアカデミー」では、ハースト婦人画報社の元副編集長で現在は染色・絹文化研究家として活動している富澤輝美子さんが日本の養蚕・生糸制作の歴史や生産現場について紹介。
古くは仁徳天皇の時代に3度形態が変わる“奇しき虫(くしきむし)”として蚕が登場し(古事記に記述)、絹をまとうようになる平安時代には位の高い人間ほど絹をたっぷりと使った衣裳を着用。江戸時代には大量に絹を輸入(明国、清国より)したことにより代金として金銀銅が大量に流出(特に銀は国内の1/4ほどの量にも上った)してしまったために、新井白石が和糸の生産を勧め、1713年(正徳3年)に各藩に養蚕勧奨の御触れが出されることとなり、江戸末期のペリー来航を機に海外に向けて日本の市場が開かれるようになった際には横浜港に訪れたオランダ商人が生糸に着目(当時、生糸生産の先進国であったイタリア、フランスで蚕に微粒子病が流行し死滅状態になっていた)、各藩の独自基準で生産されていた生糸(生糸1束の重さにもばらつきがあった)が国の統一基準での制作に整えられることなり、1872年(明治5年)に国の模範工場として富岡製糸場を設立。1909年(明治42年)には清国を抜いて日本が世界一の生糸輸出国となるなど、昭和の初めまで輸出の最大品目は生糸であり、生糸は国の発展を担うものであったということや、
現在、純国産の絹織物は絹製品の国内流通のわずか0.6%となっているという現状。そして、その中でも4割を生産している群馬県や、福島県・二本松市、愛媛県・野村町、鹿児島県・奄美大島といった日本各地の養蚕家の存在と、その工夫・努力について画像とあわせて紹介していた。
「美しいキモノアカデミー」にはスペシャルゲストとして、デザイナーの桂由美さんも登場。
ブライダルシーンで着用される衣裳の変遷―52年前は結婚式を挙げる花嫁の97%が着物を着用して結婚式を行っていたが着付けに時間がかかること・日本髪が似合わなくなってきていることを理由に式服とお色直し衣裳の両方をドレスにする花嫁が増えていった―について説明し、同時に日本髪風のヘアピース着用(20分で髪型を着物に合わせたものにすることができる)などの工夫で、ブライダル衣裳に選択の幅がなかった時代の日本髪・白塗りを忌避する花嫁も現代的な和の衣裳を楽しむことができるようになっていること、“和”がブームとなっている昨今は着物を着用し神社で行う形式の結婚式を望むカップルも増えているといったことを話していた。
そして、この5年間あまりパリコレクションで紹介してきた友禅の衣裳が高評価を得てファンも増えており、今回のパリコレクションでは江戸時代中期に活躍した絵師・伊藤若冲の絵画からインスピレーションを得て制作した作品が登場したという、その衣裳も映像で披露された(若冲没後300年を記念して制作 2017年2月15日グランドプリンスホテル新高輪で開催の「YUMI KATSURA GRAND COLLECTION with Opera」でも披露する:詳細http://tbc2017.com/)。
2月6日に登場した、純国産絹「松岡姫」を起用、株式会社伊と幸とコラボレーションして生み出された「丹頂鶴」については1964年に開催された東京オリンピックでコンパニオン役の女性たちが白の振袖を身にまとい注目されたことや、東京都知事の小池百合子さんがリオデジャネイロオリンピックの閉会式に出席した際に着物を着用、パラリンピックの閉会式では絹製のケープを巻いたこともエピソードとして取り上げ、「純国産絹をレガシーとして遺していきたい」との思いもあって制作したと桂さんは話している。
「丹頂鶴」は、「東京2020オリンピックでの着用もイメージした」とのことで、鶴と金線が入った波の模様を組み合わせ、絽地で仕立てた盛夏の装いにふさわしい爽やかな訪問着になっている。
YUMI KATSURAのデザインと伊と幸「松岡姫」がコラボレーション。「松岡姫」は山形県庄内地方に生まれた純国産の蚕種。生糸としては細繊度独特の軽さとしなやかさ、染めやすさがあるために色むらが少なくきめ細やかな色映えのする染め上がりになり、その生糸から美しい色と艶、光沢、柔らかな肌触り、軽やかな着心地を持った生地が作られているという。