<再録:JAPAN PRECIOUS 2013Spring 72号掲載>
注目企業インタビュー
新しいマーケットを切り開くTASAKIのブランド再構築
株式会社TASAKI
取締役兼代表執行役社長 田島寿一氏
2009年1月の代表執行役社長に就任以来、精力的にブランド再構築に取り組んできた田島社長。抜本的な改革のために3~5年はかかると予測していたが、今年4月には田崎真珠からTASAKIに社名変更し、世界的なラグジュアリーブランドを目指す新生TASAKIの土台作りもいよいよ仕上げ段階に入ったようだ。10月末の決算を前に現状と今後の見通しを聞いた。
――ブランド再構築のためにどんな取組みをしてきたのでしょうか
田島 当初のプログラムを忠実に実行してきました。1つはブランドポジショニングのシフト、それからコミュニケーションターゲットの明確化、それと同時に店舗=ストアネットワークのアッププロファイルでは、ターゲットコンシューマとしている層への露出チャンスの拡大と、これをベースにした店舗のスクラップビルドを進めてきました。
特に一番重要なのは百貨店へのストアネットワークのシフトで、これについては重要なマイルストーンは越えつつあると考えています。新宿伊勢丹本店への出店や、本社所在地の神戸大丸の特選フロアへ出店など、百貨店への出店に関しては着々と進んでいます。
4月にTASAKIに社名変更しましたが、一般的には田崎真珠として知られていて、消費者にも百貨店のバイヤーにも、真珠専門でダイヤや色石は片手間な印象で認知されている事例がけっこうありまして、これを短期で払拭する必要がありました。
日本で唯一デビアスのサイトホルダーであり、今のTASAKIは宝飾とクリエイティビティの融合を目指しているという認知を広めていくために、いろいろな百貨店と様々な取組みを行っています。これを通じてTASAKIの変化を認知した百貨店からさっそく出店のオファーを頂いたりと、ここ1年ぐらいで急激に認知度が進んでいます。
――そのための機構改革の内容は?
田島 この会社はもともと素材の養殖から始まっていて、素材の卸売りがビジネスの基点で、それを核にビジネスの業容拡大をして小売は後付けのような形でした。それを小売にシフトするために、小売をサポートする部門、マーケティング部や従来まったくなかったファンクションの設立や強化を行ってきました。
機構的には変わっていないけど、ありかたは大きく変わっている部門がほとんどです。ずっとこの会社にいた人にとってはずいぶん変わったはずです。
登記上の本社は神戸ですが、店舗開発やマーケティング、PRなどは神戸にいては仕事はほとんどできないので銀座本店に東京本社を新たに設置しました。機構改革という意味では本社機能の二元化は大きな変化だったかもしれません。
――ブランドに変わるためのポイントは?
田島 まずTASAKIというブランドは大切にプロモートしていこうというビッグピクチャーに関しては、社員全員共通で認識が持てます。ではどのようにして変わっていくかという各論になると違った方向に散ってしまったりするので、部門ごとにかなり明確なマイルストーンを示して統一を図りました。
私にとっても上場会社は初めてだし、社員数が500人を超える規模も初めてです。ブランドのロゴを決めたり、店舗のデザインを決めるのはトップマネジメントに集中して出来ますけど、実際にそれを発表してふさわしい商品を入れてふさわしい売り方をしようと思った段階で、これは大変なことだったのかと(笑)。そのへんのコツがようやくうまくつかめてきました。人数が多い会社で方針や意志の統一を浸透させるのは、組織をどう変えても時間は掛かります。意思の統一をしようと思うなら、それなりにディレイを計算に入れて、前もって取り掛からないといけないということを大きく学びました。
――百貨店へのシフトもブランドとしては重要なポイントですか
田島 銀座本店もそうですが、自前で店舗営業したほうが荒利が出る、百貨店への出店は売上の何割も取られて、それに見合うだけのサービスがないという考え方があったのではないかと思うんです。私はずっと特選婦人服売り場に関係する仕事をしてきましたが、消費者は新しいものを発見するにはやはり百貨店に行くんです。
今のTASAKIのように田崎真珠から新しいTASAKIに変わり、商品も変わりましたというポジションにいるブランドにとって、限られた期間で幅広く認知を得ようとすると、やはり百貨店への露出は欠かせない。我々が今まで持っていた店のプロファイルと比べても、現状の百貨店の集客力はありますし、かつてのピーク時と比べたら数字上は落ちてるといえども販売力は非常に高い。実際、新たに出店するたびに営業面でもプラスになるという結果も出ています。
今年4月新宿伊勢丹の1階でプロジェクトをしましたが、これはいろんな部門が変わらないと出来なかった。新しいお客に接する機会のない人も含めて参加してもらいました。そうすると、従来の店では経験できないような経験値がそこで積まれて意識が変わり、体も慣れてきます。新しい経験を積む機会が急ピッチで増えてきていますので、本当の意味で会社全体が土台から変わりましたといえる日が、結構近いのではないかなと思います。
――お客の年代層の変化もあったようですが
田島 よく顧客の若返りといいますが、若ければなんでもいいかというとそうでもない。
今我々が目指しているのは、今持っているお客様以外に、若いお客に興味を持っていただくための商品開発と提案で、その結果顧客層は20代から60代位まで非常に広がっています。
クリエイティブディレクターのタクーン・パニクガルに、「コレクションライン」の開発とそれ以外のコレクションのスーパーバイズをお願いしています。「コレクションライン」は、TASAKIの変化をビジュアルで訴えられるような商品を提案したつもりだったし、それが田崎真珠の殻をブレイクスルーする道具として機能しましたが、それだけではなくてコマーシャルにもかなり機能しました。
実は「コレクションライン」は相当エッジのある商品をマーケットに提案していたつもりで、これは30代・40代前半で非常にファッション感度の高いお客が中心なるだろうと考えていたんです。最初に買っていただいたのは確かに想定したお客だったのですが、我々がスーパーコンサバティブに属する感性だと分析していた従来のお客にもかなりの数を買っていただいているんです。やはりその商品が好きか嫌いかに年齢は関係ないし、これまでなかったものを探しているお客は、年代に関わらず結構いらっしゃるのだとわかりました。
特にびっくりしたのは「バランス」が従来の顧客層に評判がいいんです。写真では相当アートっぽく見えますが、着けていただくと用途・使う場面に関してフレキシビリティのあるデザインで、和服でもつけられる。
正直にいうとタクーンの最初のスケッチを見た時はにまったく想定していなかった、嬉しい誤算ではありました。
――商品提案の目的は?
田島 宝飾のマーケットそのものがもはや微増微減の状態です。その中で田崎真珠は非常に早い段階からマーケットの一角にいましたが、ラグジュアリーマーケットの中では我々は多分後発だと思うんです。規模の拡大のないマーケットの中で成功して行こうと思うと、一番簡単なのはプライスバリューで訴求してしまう。これだと長く続けられる売り方ではない。たとえばミキモトとTASAKIが真珠のチョーカーの販売競争をしても、どちらかが勝った負けたという世界でしかない。我々が採った戦略は、従来なかったセグメントを作っていくことです。ここだったら競争がない。
これから先、日本発のラグジュアリーブランドが世界各地で認められる時、宝飾の中ではTASAKIとミキモトが最右翼でなければならない。潰し合いをしていたのでは日本の業界のためにならないですね。我々はデイリーユースでしかもお洒落に着けて頂けるような商品の提案をしていきたい。そこは今のマーケットの中であまりない部分で、我々はマーケットを切り開いていく方向を選んだ訳なので、これは新しいものへの挑戦であると思います。
――ブライダルに関してはいかがですか
田島 弊社はサイトホルダーですので、ダイヤモンドは主力商品の1つです。これもうちの商品はクオリティは高いけど安いですという売り方はしたくない。
やはり基本的にクオリティが高いものにはクオリティを高くするためのコストがかかっているわけで、必要以上のマークアップするつもりはないですが、もっとコストをかけて他にないものを市場に提案していきたいと考えていますし、ブライダルのセグメントの中でもそういう考え方でいままでなかった商品を提案していきます。
ブライダルの卸では、そこで婚約指輪を買うのが一番オーセンティックだという地方の一番店を中心に、徐々にブライダルコーナーを立ち上げています。
――サイトホルダーのメリットは?
田島 サイトホルダーも規模によって違うと思いますが、我々は小売を前提としているので他に比べると仕入れの規模は少ないかもしれないが、トップエンドのクオリティの原石を集中して仕入れています。基本的に集中したいのは2分とか3分の小さい石よりは、比較的大きくしかもクオリティの高い商品で、我々の付加価値がより理解いただけるようなオリジナルカットを、「コレクションライン」
の中で積極的に使っています。ほとんど神戸の工場で研磨していて、意外とご存じない方が多いのですが、リファインドリベリオンカット、ブライトスターなどTASAKIが開発した付加価値の高いオリジナルカットがいくつかあるんです。
サイトホルダーになって一番大きなメリットは、この会社に蓄積されている研磨技術です。これは会社にとって非常に大きなアセットです。
「コレクションライン」の開発にしても自社で養殖しているので、ある程真珠度素材のバリエーションが意図して作れるところがあり、ダイヤも同じです。今の我々なら、タクーンが絵を描いてこういう石の使い方したいんだと、神戸で研磨の人間と直接話せばその場で出来る出来ないが決まって1週間後にはもう出来てるんですよ。これはサイトホルダーである最大のメリットだと思いますね。デビアスもTASAKIがリテールに特化してブランド戦略を進行中だということにはよく理解してもらっているんです。それどころか非常に高く評価されてます。ということで、いわゆる規模の大きいサイトホルダーのようにとうてい使い切れないミニマムパーチェスを押し付けられるようなこともありません。
――ブランド再構築の改革は7、8割は終わって、あとは数字面ですね。
田島 今年はEBITDA(=税引き前利益+支払利息+減価償却費)のレベルでは四半期ごとにプラスになったりちょっとマイナスになったり、ほぼブレイクイーブンになりました。来年はまさに営業利益を目指すレベルになってきています。再構築に4、5年と以前皆さんに約束した通りになっていると思います。実は今までの経験上、4、5年かかるといいながら本当は1年位早くできるかもしれないと思っていたのですが、やはり当初の予定の通りになると思います。
――上海に旗艦店を出店しましたが、今の情勢で中国戦略の見直しなどはありますか
田島 9月に上海で新たな販売子会社として塔思琦商業有限公司を立ち上げました。これまで田崎珠宝がありましたが、田崎というのは蛙と同じ音らしいんです。それもあって欧米のやり方と被るんですが音に当て字をした塔思琦ブランド名で去年から展開してきました。中国の今回の騒動に関しては、多少予測はしていましたが、あの規模でこの時期に起こるのは予測してなくて、改めてシステムの違う国なんだと認識しました。
とはいうもののあのマーケットの大きさは、だから撤退するというものではない。今後も我々は成長戦略のための投資もしていきます。中国の販売拠点は25店ですが、今後は店舗数を変えないで1店ずつのプロファイルを上げていきます。その他の地域では経済規模が拡大しているインド、ブラジル、ベトナム、タイなどで我々の商材がある程度の規模で受け入れられるマーケットの成長性が見込めれば基本的に出店する場面もあると思います。
(2012年12月)
(顔写真)
田島寿一(たじま としかず)
昭和28年生まれ。ジャーディンマセソン&カンパニー(ジャパン)リミテッド、グッチジャパン:営業本部長、クリスチャンディオール:代表取締役社長、LVJグループフェンディジャパンカンパニー:プレジデント&CEOを経て2009年TASAKI。